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  • 執筆者の写真秋山善久

更新日:2022年3月29日

 出会いの印象は、イメージが先行していることがあります。あるとき、教団の全国大会に出席したときのことです。受付の近くに広く名前が知られた御婦人がいることに気づきました。私の知っているYさんの親でしたので、パンフレットを配っているその方に近づいて「秋山と申します。日ごろYさんにはお世話になっています」と挨拶したのでした。するとその方は、振り向きぎわに「アッ」と声を上げる共に「イメージと全然違っていたわ」と続けたのでした。その驚きように、こちらも面くらったのです。イメージといっても、いろいろあるだろうと思うのですが、どうやらそのときの様子では何かが崩れ落ちるに近いものだったような。世間的に全く名前の知られない自分であるだけに、何がどうしてそんなことになったのか、十数年が過ぎた今でも不思議な気持ちになります。

  • 執筆者の写真秋山善久

 夢などというものは、ほとんどが目覚めと共に忘れてしまうものですが、たまに記憶に留まって、何度も思い出すというのがあります。精神科医のフロイトによれば、夢は抑圧された願望の無意識的な発露ということです。確かにそうした一面はあるのかも知れません。けれども、今日、フロイトの夢解釈が支持されないように、それで全部を解釈することは危険ですし、少しこじつけがましいように思います。聖書にも夢の話が多く出てきますが、それは神の啓示の手段として語られた場合でした。

 私が度々思い出す夢というのは、青年の頃、まだクリスチャンになる前に見たものです。突然、戦場の中を逃げまどっている自分がいました。父親が砲兵として戦地に赴いていたこともあって、小さい頃に戦争の話を聞くことがありました。けれども夢でみたのは、大砲による爆撃ではなく明らかにミサイルでした。右に左に火柱が立ち上がり、追い詰められた私はついに観念して大きな木の切り株に座り込んでしまいました。そのときふと頭に浮かんだのが聖書でした。同じ部屋のKさんから、いつも教会に来ないかと誘いを受けていたので、その影響があったのだと思います。Kさんの誘いを断わり続けていたのに、この夢の中では都合よく聖書に救いを求めていました。それで今度は懸命に聖書を探し回りました。そしてやっと見つけて開いたとき、唖然として座り込んでいる自分がいました。その大きな革張りの表紙をめくると、何も書いてない真っ白な紙だけになっていたからです。それがどういう意味なのか分からないのですが、そこで自覚したことは自分は知っているつもりでいながら、何も知らないのだということでした。

  • 執筆者の写真秋山善久

 

 地震があった日、私は朝の新幹線で東京に行き、国際ファッションセンターで行われた教団総会に出席していました。予定より早く総会が終了したのでそのまま帰ったのですが、もし、ホテルにでも宿泊していたら翌日は大変だったろうと思います。新幹線が脱線して不通となり、高速道路も通行止めとされたからです。地震で仙台との交通が遮断されてしまったのでした。高速道路の復旧は早かったのですが、新幹線は橋脚が破損しているところもあり、全面復旧するのは半年以上も先であろうと言われています。東日本大震災のときも、新幹線が全面復旧するまでバスの代行運転が続けられました。

 今回の地震では、幸い会堂内外の被害はありませんでした。仙台での揺れが震度5強に留まったためでしょう。隣の福島は震度が6強で、二本松福音の家教会では会堂に大きな被害が出ています。今夕も地震がありました。今しばらく警戒が必要だと思います。


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