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  • 執筆者の写真: 秋山善久
    秋山善久
  • 2023年11月9日

更新日:2023年11月10日

東北みやぎ復興マラソンが11月5日の日曜日に開催されました。できれば参加したかったのですが、日曜日でもあるし、それに42,195キロを走るとなると流石に足がもつれそうで断念しました。このマラソン大会は、震災で被害を受けた被災地を励まそうと始められとのことです。コロナ禍の期間は中断されたので、今回は実に3年ぶりになります。それだけにランナーも関係者も、テレビに映し出される顔には意気込みが感じられました。

 津波被害はマラソンコースの10倍以上の範囲に及ぶのですが、映像では復興が進んだ海浜公園や整備された施設などが中心にアップで映し出されていました。それはコースに並んだ一つの切り口であって、見方を変えれば全く違う様相がみえてくるのも事実です。原発による放射能汚染の影響とか若者の流出による人口の減少、あるいは基幹産業の衰退による離職といったことはとり残されたままですから。

 震災から12年、教会には実にさまざまな相談が寄せられました。そのひとつひとつに対応できたかと言えば、充分でなかったことが多かったように思います。中にはかえって傷つけてしまったのではないかと危惧するケースもあります。マラソンではないけれど、思いはあっても足がもつれてしまう。そんな恥を晒しながら、これまで牧師としての務めに励んできました。

 「私らはよくもまあ生き残れましたねえ」先日、同世代の牧師と再会したとき、感慨深げにそんな声を掛けられました。その体は杖で支えられています。

 私も彼も決して見栄えはしないしボロボロ。そんな現実の姿ではありますが、主イエスの内にあるなら、いつかきっと約束されたゴールに辿り着けるでしょう。それが真の復興と信じて。

  • 執筆者の写真: 秋山善久
    秋山善久
  • 2023年10月30日

更新日:2024年1月4日

 果物の中で何が一番好きですかと聞かれたら、少し歯に噛みながらも柿と答えるでしょう。柿を食うということに郷愁を覚え、一枚の絵を観賞しているような感覚に浸ってしまうからです。昔、実家には大きな柿の木があって、毎年たくさんの実をつけました。それは小さな卵の形をした渋柿で、木の周辺は子どもたちの遊び場になっていました。秋の陽を受けながら夕暮れまで走りまわったことや、柿の枝に吊るしたブランコを思いきり漕いでいたことが懐かしく記憶に残っています。

  実家がある気仙沼市の山奥にキリシタンの殉教碑が立っています。以前にはそこから近いところに宣教師が接ぎ木したといわれる柿の木がありました。郷土史には幹回りが2.8メートルの大きな木で、樹齢が200年に及ぶとあります。古老の話によると、根本からみて接ぎ木であることがわかり、その手法は宣教師の教えによったものとのこと。ちなみにポトガルの宣教師たちは、柿をいちじく(figo)と考えていたようです。

  この碑殉教が建立されたのが文政8年(1825)2月。江戸幕府によって異国船打払令が発布された年です。当時の江戸幕府の迫害を恐れて、キリシタンとは全く関係がないよう入念にカモフラージュしてあります。けれども、それまでして立てなければならなかった当時の事情があったのでしょう。

  一度、兄と一緒にこの柿の木を見に行ったのですが、既に切り倒されていて切り株の跡しか残っていませんでした。殉教した人が誰であったかも知ることはできません。ただ、宣教師の教えによって育った柿の木だけが、その後200年生き延びたということは確かなことです。そんなことを考えると、柿を食べるときに郷愁がますます深くなります。

  • 執筆者の写真: 秋山善久
    秋山善久
  • 2023年10月26日

更新日:2023年10月28日

 秋らしい季節になって、クヌギやナラの木の下には、たくさんのどんぐりが落ちています。子どもの頃は、それを集めてヤジロベーを作ったりしたものですが、近頃そんな遊びをする子どもはいるのでしょうか。どんぐりの実は種ですから、しっかり蒔いて育てさえすれば、やがて芽を出して木に成長していきます。でも木の下に落ちたどんぐりが芽を出し木にまで成長する確率というのは、ほとんどゼロに近いのではないでしょうか。それよりも、鳥とか小動物によって食べられてしまう。また、そうした鳥や小動物によって他の場所に運ばれて、そこで芽を出したりすることは初めから計算されているのかも。

 熊がどんぐりを食べることはよく知られています。今年などは、猛暑の影響で山にどんぐりが少ないので、熊は人がいる里や住宅地にまで下りてきたりしています。熊だっていろいろあるんでしょう。あるいは胃の調子が悪くなって未消化のまま排泄したりする。それでどんぐりが芽を出すということが起こり得るかも。勝手な想像ながら、そんな不測の事態で発芽するのがメインかもしれないです。ありそうもない出来事が生存のシステムであるとすれば、自然の奥深さは人の知恵の遥かに及ばないものです。どんぐりが落ちてしまうと紅葉が進み、やがて葉を落としていきます。その葉が地面を覆うと腐葉土の役割をする。どんぐりにとっては布団のようなものでないでしょうか。葉が先に落ちて、実だけが残る木もあります。そうした木の実は鳥が来て食べてしまう。これはこれで、実が芽生える可能性を秘めていると言えるでしょう。

 万事が効率だけが優先される今日の社会では、こんな不効率なシステムを適用した企画など見向きもされないでしょう。でも、気が遠くなるような時間の中で、しっかりと支えられ、根付いてきた自然の営みのひとつひとつをもう一度考え直してみたいと思います。

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