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  • 執筆者の写真秋山善久

 財布を持つのを忘れたままバスに乗ってしまいました。スマホは対応していないし、Suicaも持っていない。未だに整理券によって現金払いしているアナログ人間です。どうしようと冷や汗が出てしまいました。駅近くにある施設で開催された宣教会議のため、前の晩、パソコン、マイク、スピーカーと一つ一つを確認してカバンに詰め込んだのです。出がけにいつもなら車で行くのに、駐車料金が高いからと慣れないバスにしたことが大失敗。でも、駅が近くなって大恥をかくことを覚悟したときに、カバンの底から小銭入れが見つかって何とか支払うことができました。

 若い頃からへまを重ねました。いったい幾つになったら、こんな失敗から解放されるのだろうと考えてしまいます。そんな自分も変わるのはもう無理としか言えない年齢になっています。失敗を数えたらきりがありません。その会議の中で、ある人から失敗談を聞きたいという話がありました。私の場合、失敗談ならいくらでも出すことができるのですが。

 失敗と並んで人生を埋め尽くしているのが罪です。振り返ってみると、何と多くの罪が思い返されることか。失敗と罪は似通っているようでありながら全く違うことでしょう。失敗は忘れることができるし、時間と共に変質してしまうこともある。それに対し罪は赦されないかぎり解決することはないからです。毎日、報道されているウクライナとロシアの戦争。これは誰かの間違いや失敗ではなく、神の前にある人の罪だと気づかされます。

  • 執筆者の写真秋山善久

 夏が来たかと思うような陽気は、今朝には一転して震えるような冷気に置き換わっていました。団地のロータリーに咲いていた桜が、昨夜からの雨に打たれて葉桜になっているのを見ると、大事なものを見逃してしまったような寂しさを覚えます。あれほど盛んに飛び交っていた燕はいったいどこにいってしまったのでしょう。想像するに、巣作りでは寸暇も余裕がないはずですが。それでも時おり庭先にすずめが来て、チュンチュンとかわいらしい鳴き声を立てています。

 雨模様の日には体調を崩したり、頭がいたくなる人が一定数いる。そんなことが、先日、NHKのテレビ番組で報道されていました。原因として、これまで気象的には無視されてきた微弱な気圧変化が原因しているとのこと。近年、データーを解析して、こうしたことがわかってきたとのことです。

 春は一瞬一瞬の変化が大きい。気圧の変化、日差しの変化、気温の変化、そうしたことが体調だけでなく、思考や気分などにも少なからず影響しているような気がします。ニュースにはなりませんが、野の草や山の緑が薄茶色から、淡い緑、黄緑、緑へと色彩を変えていく。そんな変化こそが、いのちのあかしなのかも知れません。

  • 執筆者の写真秋山善久

更新日:2022年3月29日

 出会いの印象は、イメージが先行していることがあります。あるとき、教団の全国大会に出席したときのことです。受付の近くに広く名前が知られた御婦人がいることに気づきました。私の知っているYさんの親でしたので、パンフレットを配っているその方に近づいて「秋山と申します。日ごろYさんにはお世話になっています」と挨拶したのでした。するとその方は、振り向きぎわに「アッ」と声を上げる共に「イメージと全然違っていたわ」と続けたのでした。その驚きように、こちらも面くらったのです。イメージといっても、いろいろあるだろうと思うのですが、どうやらそのときの様子では何かが崩れ落ちるに近いものだったような。世間的に全く名前の知られない自分であるだけに、何がどうしてそんなことになったのか、十数年が過ぎた今でも不思議な気持ちになります。

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