top of page
  • 執筆者の写真秋山善久

更新日:2021年4月19日

 トリチウムが含まれる福島原発の処理水を、水で薄めて海洋放出することが政府内で決定されました。このことでは福島の漁業関係者ばかりではなく、周辺国を巻き込んで大きな反対の声があがっています。放射線と聞いただけで恐怖感もつ人が多いので、いくら安全だというデーターが示されても、海洋投棄がされたら風評被害が拡大することは避けられないでしょう。

 原発事故が発生する前には、トリチウムという物質は一般にはほとんど知られていませんでした。けれども、40年程前、トリチウムは国の命運を決する重要な物質としてもてはやされたことがあります。学者の中には、非常に少ないこの物質の争奪が世界大戦に発展するという人までいたのです。何に使うかというと、核融合の原料とされたのでした。核融合とは、水素と重水素とトリチウムが素粒子に分解された中でヘリウムに合成されることです。このときに巨大なエネルギーが発生するのですが、ウランの核分裂と違って核物質を放出することはないとされています。太陽は核融合でエネルギーを供給しているので、核融合のことを地上に人口の太陽を造ることだとも言われます。そのため先進国では競って建設プロジェクトが立ち上がっていました。かつて私がいた会社では幾つかの実験装置を受注していて、私はその装置の真空度を高める作業をしていました。

 けれども、プラズマ状態になった素粒子を電磁波で封じ込めコントロールするということは非常に難しく、今日に至るまでどこの国でも成功していません。仮に核融合が臨界という状態を維持したとしても、一億度もの熱をどのように取り出して発電に生かすかという課題が残されています。

 原子番号では水素は1、ヘリウムが2、トリチウムは3です。そこからすると、これらの物質は単純な構造をしているよう思われがちです。けれども、実際には何もわかっていないということなのかもしれません。科学の進歩は人類に無限の可能性を与えるものとされていますが、人は創造者の前にもっと謙遜にされることが求められているような気がします。

  • 執筆者の写真秋山善久

 報道されているように、仙台市内でも新型コロナウィルスの感染が急速に拡大しています。教会としても、今まで以上に注意しなければならないと自戒しています。例年ですと、

近くのミッションスクールに通う新入生が顔を出す時期です。けれども先日、学校からは、「積極的に教会に出席をすることを勧めることを控えております」との連絡がありました。授業はいよいよオンライン化が進んでいるようです。牧師が関わる会議も、百パーセント近くリモートになっています。

 けれども、そうした機器によるコニュニケーションは、どこかに落とし穴があるのではないかという心配があります。以前、幼少期にデジタル映像を多くみた子供がの絵が、記号化してしまい、およそ人間性を感じられないということが、精神科医に指摘されたことがありました。人と人との触れ合いというのは、一般的な情報に限ることではなく様々な要素の交流を含んでいるためだと思います。今は、そうした気がつかない部分が欠落したまま、人間関係作りや学びや社会の構成がされている。もちろん、感染が収束すれば、そこにある制限は一気に取り払われるでしょう。そのときをひたすら待つのも一案ですが、この状況の中で、何かの方法で欠けを補う努力もしたいと思います。それは感染防止のルールを破ることによってではなく、積極的に新しいことを見出すことによってです。

  • 執筆者の写真秋山善久

 小学校の校庭に植えられた桜のつぼみが膨らんで、淡く緑がかってきました。東京では例年より早く開花が宣言されましたが、仙台でも今年は開花が早まりそうです。昨年の12月頃にはとても寒い日が続いて、何年かぶりで水道が凍結するということがありました。まだ大丈夫と思って、水抜き対策をしなかったための失敗でした。そのときには雪のため建物全体が底冷えして、春がずっと遠く感じられたものでした。テレビで解説する気象予報師によると、その寒さによって桜の開花スイッチが入ったというのですから不思議なものものです。

 教会の前は通学路なので、毎日、登下校の子供たちの姿を目にします。そこで気になるのは、以前より子供たちの元気さが失われているような気がすることです。マスクをしているので、口が押えられて自由さが奪われているためでしょうか。あるいは、心の中まで薄く幕がかかったようになっていないか心配になります。

 10年前、震災があったとき、桜を見るのが辛い思いをした記憶があります。被災地の異常事態に、いつもなら普通に受け入れられることが、そうすることができない戸惑いがありました。そして、何気ない日常が如何に薄い基盤の上にあることかと気付かされました。そんな中で、生き方そのものが問い直されたはずです。もしかすると、コロナ禍のことでも、そんな問いが世界的に課せられているのかもしれません。

タグから検索
  • Facebook Basic Square
  • Twitter Basic Square
  • Google+ Basic Square
bottom of page