top of page
  • 執筆者の写真: 秋山善久
    秋山善久
  • 2023年9月3日

更新日:2023年9月12日

 私にとって9月は特別な月です。誕生日が9月、洗礼を受けたのも9月、そして結婚したのも9月であるからです。50年前、教会と牧師館を兼ねた風呂場での洗礼式でした。狭い戸口に教会員がびっしり詰めかけ、大きな声で賛美してくれたことを覚えています。司式は全盲である馬場靖先生で、その日、私の他に男子大学生のFさんと女子高生のEさんが受洗しました。馬場先生は目の障害があるとは全く感じさせない明るさがありました。集会では常にジョークを言い、駄洒落を飛ばし続ける。それでいて人を感動させるメッセージをとり継いでくれます。その馬場先生は、翌年、大阪の松原に転勤していかれました。

 当時の教会は、普通の民家を改装して集会場としたものでした。外観はとても教会とは思えないのですが、常に活気があり、多くの青年や高校生たちが集まっていました。その頃の青年の中で3人が同じ教団の牧師となり、今もときどき連絡をとり合っています。また他の教団で牧師や牧師夫人になった人が数人います。これまでの歩みで、苦しかったことや辛い思いをしたことは数多くあります。それでも脳裏に残る母教会の風景は、決して薄れることがありません。すべては主の恵みであったと思います。

  • 執筆者の写真: 秋山善久
    秋山善久
  • 2023年8月31日

更新日:2023年9月3日

 今日8月31日は、今年最後のスーパームーンがみられるとニュースにありました。地球と月の距離が一番近くなる満月で、そのため月がいつもより明るく大きくみえるということです。実際には、30日の午後10時から31日の未明までもそうだというのです。期待していたのですが、昨晩のその時間、仙台の空には雲がかかっていて何も見ることはできませんでした。今朝早く起き外に出てみると、雲はどこかに流れてなくなっていたのですが、既に月は隠れていて、明るい星が一つ輝いているだけでした。

 「あなたの指のわざである あなたの天 あなたが整えられた月や星を見るに 人とは何ものなのでしょう。」 詩篇8:3

 散歩の途中、どうしてこれが月や星なのだろうかと考えました。創造の偉大さを語るなら、月や星より太陽の方が圧倒しているのにと。それでも月や星をみているダビデの姿に

惹きつけられます。そこに悲しみが込められているような気がします。それは文学において語られるロマンのようなものではなく、生活の中で味わってきた苦しみや悲しみ。人の弱さを嫌という程に痛感してきたもの。「人とは何ものなのでしょう」という中に、そんな自己認識があり、この詩ではその自分が神の被造物として立て直される恵みが語られているような気がします。天気予報では今夜は晴れ間もあるような。スーパームーンがみられるかもしれません。


  • 執筆者の写真: 秋山善久
    秋山善久
  • 2023年8月28日

更新日:2023年8月31日

 二年程前から、道路と建物の間に植えてある杉科の植物が枯れるようになりました。知り合いの植木屋さんに聞くと、剪定の仕方が根本的に間違っているとのこと。そういえば、以前、家内が買ってきたばかりの剪定バリカンのようなもので、一気に頭だけ刈り揃えたのでした。素人目にはきれいに仕上がったようでしたが、生垣にしてみればとんでもないことをしてくれたということでしょう。木の先っぽの方だけに葉っぱが残っているのもあります。そうでないものは完全に枯れてしまっている。「そうなったら、もうダメです。植え替えるしかないですよ」と植木屋さん。枯れた木の抜き方だけを手まねして教えてくれました。「挿し木はだめですか」と食い下がる私に植木屋さんは黙って手を振るだけ。問題外といったふうでした。ホームセンターでは同種のものを見つけられないし、杉科の植物は挿し木ができないということで諦めていたのです。ところが、今年の春先にyou tubeをみていたら、杉っぽい植物を挿し木しているのをみつけました。「ひょっとするとできるかもしれない」それを参考にしてプランターに挿し木をしてみました。それから毎日、水やりを欠かさないできたのです。3ケ月が過ぎて、半分のものは枯れてしまいましたが、半分はこの夏の暑さに耐えて新しく芽を出しています。かすかな希望が現実となった瞬間です。



タグから検索
  • Facebook Basic Square
  • Twitter Basic Square
  • Google+ Basic Square

© 2023 by COMMUNITY CHURCH. Proudly created with Wix.com

bottom of page