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  • 執筆者の写真秋山善久

 運動不足にならないように、筋トレを初めて5.6年になります。介護の仕事をしていて体を痛めたことがきっかけでした。老人施設の利用者を車椅子に移動するとき、腰を悪くしてはいけないと体重を前にかけていたら、その反動で鼠経ヘルニアになってしまったのでした。いわゆる脱腸です。お腹に力が入り過ぎ、小腸が腹膜を破って出てきたのです。それで生まれて初めて入院手術を受けました。全身麻酔で少し緊張したりはしましたが、手術そのものは腹の穴に蓋をして塞ぐだけだったので、終わると少し休んだだけで帰されてしまいました。それが6年前。

 このことがあってから、体を鍛えておかなければならないと決意しました。腕立て伏せから始めて腹筋運動をしてみます。すると、ある方からダンベルを譲り受けていたことを思い出しました。そこで物置から埃まみれになっていた鉄玉を取り出してきてメニューに加えました。また散歩の途中、森林公園にある東屋にいったときには、梁にぶら下がって懸垂をしたりします。そうした甲斐があってか、先日、クリニックで健康診断を受けたところ問題なしとされました。医師によれば「コロナ禍で肥満になる人が多いんですが、血圧と体形は理想的ではありませんか。運動の賜物です」とのこと。なるほどと頷きながら、経緯を振り返ってみれば瓢箪から駒であったと自嘲したのでした。

  • 執筆者の写真秋山善久

更新日:2021年10月2日

 牧師をしながら副業を始めて6年になります。開拓教会の経済的な不足を少しでも補うためでした。せっかくなら今まで経験をしたことがないことをと思い、新しく始めたのが高齢者施設での介護の仕事でした。ハローワークに何度も通い、やっとみつけたのが今の職場です。高齢の上に介護の資格のない者が採用されたのは、それだけ福祉の現場では人材不足に陥っているということです。

 週3回の夜勤ですから、本業との兼ね合いで毎日のように昼と夜が逆転してしまいます。

健康のためには、規則正しい生活リズムを作るのが不可欠でしょう。日常的にそれと真逆のことをしているのですから不健康極まりないのですが、幸いにも今まで健康診断を受けても大きな問題はありませんでした。

 パウロは、エペソで天幕作りの仕事をしながら福音宣教をしました。人々が持ち出したパウロの手拭いや前掛け(使徒19:12)も、そうしたときの仕事着であったでしょう。昨日の礼拝でそんなことを説教しながら、自分でも励ましを受けています。

  • 執筆者の写真秋山善久

 何気なく雑誌をみていたら、マルチステージという言葉に目がとまりました。芸能人とかスポーッツ選手のことではありません。尺八を吹いているからといって、これからステージに立ちたいなどという野望を持っているわけでもなく、ただ、コロナ後というワードに興味が惹かれたのでした。記事をみれば、それはコロナ禍以後の生き方として、ロンドン・ビジネススクール教授のリンダ・グラットンさんが提唱している新しい生活スタイルのことでした。それによれば、伝統的な人生というのは、三つのステージをもっているというのです。つまりフルタイムの教育期間、続いてフルタイムの仕事期間、最後にフルタイムの引退期間になると。今まで日本社会はそうであったけれど、高齢化が進んでそのような分け方はできなくなる。だから、そうした社会の枠組みでなく、いろいろなところで活躍できるマルチの生き方を身につけることが求められるというのです。

 なる程と思いました。たとえば定年ということにしても、今までの考え方では適応できないことがいっぱいあります。私自身、教団の厚生部会に長く所属していて、牧師の定年について考え、意見を述べてきました。印象が暗いとか地味と言われるのはそのためかもしれない。その小さな経験の中でも、若かったときと今では状況が大分違ってきています。コロナ禍による社会の変化は、そうしたことを一層加速させるでしょう。そんな中で、マルチの生き方というのは、明るいものを感じさせます。高齢化して杓子定規にできないということではなく、何かできるという発想が先だっているからでしょう。もちろんできなくなることを無視するというのではありません。高齢化すればする程弱いところが多く出てきます。病気もします。そうした部分を受け入れながら、新しい働きを見つけていく。それはとても楽しいことであるような気がします。

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