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  • 執筆者の写真秋山善久

先日、危うく命拾いをしました。乗せていただいていた車が赤信号の交差点を、ブレーキをかけることもなく直進してしまったのです。運転していたのは、私の古くからの友人ではありますが、まだ高齢者ドライバーということでもありません。友人の言葉によれば、実にたまたまのあり得ないことだったそうです。後から原因を考え議論をしたのですが、助手席にいた私が懐かしさに話に花を咲かせ過ぎたということになりました。とにかく車が大きな交差点に入ったときには、左方向から車の車列が迫っていました。ほとんどぶつかると思ったのですが、友人はハンドルを大きく切り、かろうじて事故を回避することができました。タイミングとしては1000分の1秒の差で、車間はほんの数センチだったでしょう。

30年程前、同じようなことで命拾いをしました。それは慣れない東京の町を、私が運転して走っていたときのことでした。宿泊するホテルの駐車場に入ろうとして、反対車線に入ってしまいました。気がついたときには、前方から3車線の車が迫っていました。パニックになって身動きができないでいると、突然、運転席側のドアが開いて一人の見知らない男が押し入ってきたのです。そして有無を言わさずハンドルをとると右に左に運転し始めました。私は何が何だかわからない状態でした。やがて車が停車し、「ここなら大丈夫ですよ」と言ってその人は車を降り薄闇の中に消えていきました。気がつくと、目の前に泊まろうとしたホテルの駐車場がありました。考えてみると、これまで人生の危機がどれだけあったかしれません。不思議にそこから守られた。秋の夜長にしみじみとそんなことを思い返すのです。

  • 執筆者の写真秋山善久

 近くにある水の森公園に、数羽の白鳥が飛来して羽を休めています。公園を囲む雑木林の遊歩道に熊が出没して大騒ぎになったのは三ケ月ばかり前のことでした。公園にはキャンプ場と広場があって、休日ともなると駐車場に車が入り切れない程にぎわいます。昨日は好天に恵まれたので、芝生の広場ではゲームをする親子連れや、ペットの散歩をする近くの人、テントを張ってグループで芋煮をしている人たちもいました。以前には釣りをする人たちもいたのですが、白鳥が釣り針を飲み込んで怪我をするということで禁止になっています。

 これから寒さが加わるに連れて白鳥の数は増え、年末には40羽ぐらいになると思います。それにしても毎年、この小さな沼までシベリアから4000キロも旅をして來るとは驚きです。住宅街に囲まれた沼の周りは騒がしく、白鳥が休む環境として優れているとは思えません。それでも何かの理由で脳のどこかにナビゲートする地図が正確にインプットされているのでしょう。それだけでなく、自分の位置を測るシステムが組み込まれているに違いない。

 青年のとき一人旅をして、行き当たりばったりの宿をとりました。それがないときには野宿をしたりもした。けれども、この沼にいる白鳥は、上空からたまたま見つけて来たのでないことは確かなことです。そうでなければ、毎年、一定数の数が揃う理由がつきません。一見さんお断りという程の格式もなければ、大盤振る舞いする程の餌場もない。それでも何故かここがいい。白鳥はガアガアとイメージを壊す鳴き声を響かせすが、どこか懐かしい感じがして心が癒されています。


  • 執筆者の写真秋山善久

先週、実家の気仙沼に里帰りしたとき、近くにキリシタンが処刑された場所を示す供養碑があることを知りました。文政八年二月に建てられたキリシタン供養碑のことは知って

いましたが、実際に処刑された場所にも供養碑があるとは知りませんでした。前者の供養碑(写真)には、塩釜竹駒両大明神と大きな文字が彫られています。図書館で調べてみると、村内に悪疫が流行したとき祈祷師に占ってもらったところ、迫害された犠牲者のたたりと言われ、その慰霊のため建立されたとありました。処刑から数十年後です。兄に聞いてみると「キリシタンのためだと疑われないため、徹底的に考え抜かれたようだ」ということです。この地方には直接に関係ない二つの神社の名称が記されているのも、そうした事情なのでしょう。そんな危険を冒しても供養碑を建てたのは、占い師の言葉を信じたことでもありますが、人々の中に罪責感が残っていたからではないかという気がします。処刑現場の供養碑は、兄に教えられて初めて知りました。そこは私が子供の頃、友達とメダカすくいに夢中になっていた所でした。自然石に刻まれた文字は、残念ながら風雪に晒されて判読することはできませんでした。

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